2010/10/25

夜はお静かに

鳥の方です。

今はボロアパートに住んでいるのですが、周りに気を使えない輩が多くて滅入っています。
かれこれ問題児は3組目になるか。割合で言うと3/5が問題児。
「凄く壁が薄いので夜に音楽を聴きたい場合は、ヘッドフォンで聞きましょう。」
これだけなんですが、これが守れない。
直接伝えて、大家に伝えてもらって、不動産屋に伝えてもらってもわからないらしい。
無神経さが羨ましい。憎たらしい。

勿体ないけど、家が出来る前に引越を考えざるを得ない。
軽く見積もっても20万円は掛かる…。



先日、僕が大家と話しているのを目にして、やましい気持ちがあったのか、とりあえず静かになった。
やれやれ。

2010/10/19

家遊びの記憶

牛です。牛ばかり書いていますね。
鳥さんも書いたらいいのにね、とお向かいのウエルシュコーギーがあくびしてどうでもいい風に言っていました。

私が小さい頃には、小さな女の子が連続で殺されたり、さらわれたりする衝撃的な事件が世間で騒がれていました。実際、私も登下校中に男性に追いかけられたことがあります。そういう噂がしょっちゅうあったなあ。なにげにいつもサバイバルでしたね。弱い立場のものはいつもそうですね。私は生き残っただけ。
ん?最近テレビで見ないだけで、今もたくさんあるのでしょうね。殺されなくともね。

私の家は祖母も母親もじゃっかん人間不信気味で私のことをとても大事に思っていながらも閉じ込めるタイプだったので、外(道路とか、空き地とか、公園とか)で私が遊ぶのを、小学校の5、6年生になるまでいやがりました。

必然的に、友達が家に来たりしても、家の中で遊ぶことが圧倒的に多かったのです。

そのころ、わりと大きな日本家屋に住んでいた私は、家で遊んでいてもあんまり飽きませんでした。
想像力で遊ぶことが子どもってどんなに得意か!

赤いタオルを火に見立てて、友達と二人で毛布と荷物(なんか、お菓子とか勝手に台所から拝借した野菜とか)を持って、「旅ごっこ」をしたのが忘れられません。

二階の私たち家族の住んでいたところから出発して、私たちは厳しい荒野(畳の部屋)や夜空の美しい山の上(階段の踊り場)や、違う国の街はずれ(祖母の居間の外の廊下)などで、数分ごとに「今夜はここで暖をとるか・・・」とか言っていました。「火の番はどっちがするか」とか。どこで覚えたのか。

それで、真ん中に真っ赤なタオルを置いて火おこししたことにして、毛布にくるまって、数分寝たふりをするのです。

そうすると、普段はあまり見ない場所の家の天井が見えたり、ただ通り過ぎるだけだった階段の踊り場が何か特別な場所のように思えてきたり、冬の木の廊下が本当に寒くて毛布がありがたいということに気づいたり、天井が本当に高いんだなあと改めて思ったり、そんなことをして家の中で、世界中を、旅した気分になっていたのです。高い天井の向こうに、夜空を見ていたのです。

そのころ住んでいた家が、しっかりと、子どもの手が回らないくらいの太さの大黒柱や何本もの太い梁で作られた、きっとちゃんとつくられた家だったのだと思います。
木がたくさん使われていて、家の中に入ると夏は涼しく、冬はちょっぴり暖かく、とにかく木の香りがしている家でした。壁は触ると痛いとげとげの白い塗り壁・・・壁痛かったなあ。あのとげとげ壁はなんだったんだろう。

だからきっと「旅ごっこ」も、その家がより私や友達の空想の宇宙を広げてくれたんだと思います。
ちゃんとつくったお家は、デザインされていながらきっと人間を硬直させずに、想像力を広げるのだと私はなんとなーく思っています。
今お願いしている志田さんがデザインされたお家の中にも、施主のご一家にお子さんがいらっしゃって、その子たちのためにもと建て替えられたお家を見せていただいた機会がありました。
・・・あそこはきっと楽しいぞ!と心の中の子どもの私は言っていました。

家の中にいるように見えて・・・子どもは心の中ではどこにいるかわからないもの・・・なのかも・・・私だけ?
もう大人になってしまいましたが、まだまだ家の中に宇宙を見るぞ!と意気込みながらこの辺で。


***

他にも腐ったトマトをシンクにヘッドアタックで飛ばしあって遊ぶという若干モラル崩壊な遊びをして友達とげらげら笑ったことなども印象ぶかいです。もちろん保護者が誰もいない時です。

2010/10/13

土地を所有するということ

ブログの内容と非常に矛盾していると思われると思いますが、私は「土地を所有する」ということ自体に、
結構罪悪感とか、暴力性とか、息苦しさとか、そういうものを感じています。

誰が最初に「ここ私の土地だから入らないでね!ちょっと!何勝手にテント建ててんだ不法占拠だ!」ってやったんでしょうね。
学校で習ったんでしたっけ。忘れました。

たぶんそれは、土地を購入するということに限らず、賃貸でも住まいに関わる部分で非常にお金がかかる、市場に左右される、基本的に人が暮らすための保障されるべき最低限としての部分としてとらえられていない、などの問題が背景にあると感じていて、それで土地を持つということにそう感じるのだと思っています。

端的にいえば、たくさんのお金を払わないとまともな家にさえ暮らせないということです。
他にも学校に行けないとか、健康保険証がなくなっちゃうとか、お金がないと「最低限」を簡単に落ちていく今が私は怖いので、土地を買うというのはその中で圧倒的な力をふるうということだと思っています。
ほんとーに小さな土地ですが、あの土地を私たちのものにするという感覚が、私にとっては嬉しさというより、自分の必死さを感じます。

私は、家がない人たちと関わっています。ずーっと「自分の」家がないまま過ごしてきた方もいます。
もしくは、家がなくなりそうで、それを防ぐすべもなく焦って、身や心を削ってどんどん苦しくなっていく人たちです。
個人の責任だと、いう人は自覚なく恵まれた環境におられるのでしょうか。
それとも、自分も苦しいのだから他人も苦しくてしょうがないと思うのでしょうか。
私はそういう考えが嘘だと思っているので、今の社会の仕組みの怖さを実感します。

それでも家を建てたかったのは、まともな家に住みたいという自分の欲望を優先させたからであり、住まいというものが私と鳥にとって非常に大きな意味を持つ「モノ」だと考えたからです。
私は目先の欲望に弱いので、「気持ちがいい」「これがいい」と思うと選んでしまう、「選べて」しまう。
私は社会で、ささいなんだけど、ほんとうにささいな量だけど、資力という点では強者とも言えるのです。

マジョリティからはマイノリティの苦しさが見えないように、強者からはやはり弱者の事実は見えにくいと思います。
人間の想像力を信じています。しかし、想像力だけで完結してはいけないとこの年にして教えられている気がします。
私はまだまだ迷っている牛です。勉強が足りていません。生き方が一貫できていません。一貫したほうがいいのかどうかわかりません。そういう生き方が自分に合っているのかわかりません。

お家は建てるけれど!

最後に、それから、昔から今まで一部の女性をのぞいてほぼ男性にしか買えない値段であるということも、問題がいくつも絡み合って、気持ちが悪いと思うのです。

家ブログにこの記事の内容は矛盾していると思われると思いますが、なんて最初に謙虚っぽく書いてしまいましたが、私はまったく矛盾してないと考えています。てへっ。