2010/10/19

家遊びの記憶

牛です。牛ばかり書いていますね。
鳥さんも書いたらいいのにね、とお向かいのウエルシュコーギーがあくびしてどうでもいい風に言っていました。

私が小さい頃には、小さな女の子が連続で殺されたり、さらわれたりする衝撃的な事件が世間で騒がれていました。実際、私も登下校中に男性に追いかけられたことがあります。そういう噂がしょっちゅうあったなあ。なにげにいつもサバイバルでしたね。弱い立場のものはいつもそうですね。私は生き残っただけ。
ん?最近テレビで見ないだけで、今もたくさんあるのでしょうね。殺されなくともね。

私の家は祖母も母親もじゃっかん人間不信気味で私のことをとても大事に思っていながらも閉じ込めるタイプだったので、外(道路とか、空き地とか、公園とか)で私が遊ぶのを、小学校の5、6年生になるまでいやがりました。

必然的に、友達が家に来たりしても、家の中で遊ぶことが圧倒的に多かったのです。

そのころ、わりと大きな日本家屋に住んでいた私は、家で遊んでいてもあんまり飽きませんでした。
想像力で遊ぶことが子どもってどんなに得意か!

赤いタオルを火に見立てて、友達と二人で毛布と荷物(なんか、お菓子とか勝手に台所から拝借した野菜とか)を持って、「旅ごっこ」をしたのが忘れられません。

二階の私たち家族の住んでいたところから出発して、私たちは厳しい荒野(畳の部屋)や夜空の美しい山の上(階段の踊り場)や、違う国の街はずれ(祖母の居間の外の廊下)などで、数分ごとに「今夜はここで暖をとるか・・・」とか言っていました。「火の番はどっちがするか」とか。どこで覚えたのか。

それで、真ん中に真っ赤なタオルを置いて火おこししたことにして、毛布にくるまって、数分寝たふりをするのです。

そうすると、普段はあまり見ない場所の家の天井が見えたり、ただ通り過ぎるだけだった階段の踊り場が何か特別な場所のように思えてきたり、冬の木の廊下が本当に寒くて毛布がありがたいということに気づいたり、天井が本当に高いんだなあと改めて思ったり、そんなことをして家の中で、世界中を、旅した気分になっていたのです。高い天井の向こうに、夜空を見ていたのです。

そのころ住んでいた家が、しっかりと、子どもの手が回らないくらいの太さの大黒柱や何本もの太い梁で作られた、きっとちゃんとつくられた家だったのだと思います。
木がたくさん使われていて、家の中に入ると夏は涼しく、冬はちょっぴり暖かく、とにかく木の香りがしている家でした。壁は触ると痛いとげとげの白い塗り壁・・・壁痛かったなあ。あのとげとげ壁はなんだったんだろう。

だからきっと「旅ごっこ」も、その家がより私や友達の空想の宇宙を広げてくれたんだと思います。
ちゃんとつくったお家は、デザインされていながらきっと人間を硬直させずに、想像力を広げるのだと私はなんとなーく思っています。
今お願いしている志田さんがデザインされたお家の中にも、施主のご一家にお子さんがいらっしゃって、その子たちのためにもと建て替えられたお家を見せていただいた機会がありました。
・・・あそこはきっと楽しいぞ!と心の中の子どもの私は言っていました。

家の中にいるように見えて・・・子どもは心の中ではどこにいるかわからないもの・・・なのかも・・・私だけ?
もう大人になってしまいましたが、まだまだ家の中に宇宙を見るぞ!と意気込みながらこの辺で。


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他にも腐ったトマトをシンクにヘッドアタックで飛ばしあって遊ぶという若干モラル崩壊な遊びをして友達とげらげら笑ったことなども印象ぶかいです。もちろん保護者が誰もいない時です。

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