2010/10/13

土地を所有するということ

ブログの内容と非常に矛盾していると思われると思いますが、私は「土地を所有する」ということ自体に、
結構罪悪感とか、暴力性とか、息苦しさとか、そういうものを感じています。

誰が最初に「ここ私の土地だから入らないでね!ちょっと!何勝手にテント建ててんだ不法占拠だ!」ってやったんでしょうね。
学校で習ったんでしたっけ。忘れました。

たぶんそれは、土地を購入するということに限らず、賃貸でも住まいに関わる部分で非常にお金がかかる、市場に左右される、基本的に人が暮らすための保障されるべき最低限としての部分としてとらえられていない、などの問題が背景にあると感じていて、それで土地を持つということにそう感じるのだと思っています。

端的にいえば、たくさんのお金を払わないとまともな家にさえ暮らせないということです。
他にも学校に行けないとか、健康保険証がなくなっちゃうとか、お金がないと「最低限」を簡単に落ちていく今が私は怖いので、土地を買うというのはその中で圧倒的な力をふるうということだと思っています。
ほんとーに小さな土地ですが、あの土地を私たちのものにするという感覚が、私にとっては嬉しさというより、自分の必死さを感じます。

私は、家がない人たちと関わっています。ずーっと「自分の」家がないまま過ごしてきた方もいます。
もしくは、家がなくなりそうで、それを防ぐすべもなく焦って、身や心を削ってどんどん苦しくなっていく人たちです。
個人の責任だと、いう人は自覚なく恵まれた環境におられるのでしょうか。
それとも、自分も苦しいのだから他人も苦しくてしょうがないと思うのでしょうか。
私はそういう考えが嘘だと思っているので、今の社会の仕組みの怖さを実感します。

それでも家を建てたかったのは、まともな家に住みたいという自分の欲望を優先させたからであり、住まいというものが私と鳥にとって非常に大きな意味を持つ「モノ」だと考えたからです。
私は目先の欲望に弱いので、「気持ちがいい」「これがいい」と思うと選んでしまう、「選べて」しまう。
私は社会で、ささいなんだけど、ほんとうにささいな量だけど、資力という点では強者とも言えるのです。

マジョリティからはマイノリティの苦しさが見えないように、強者からはやはり弱者の事実は見えにくいと思います。
人間の想像力を信じています。しかし、想像力だけで完結してはいけないとこの年にして教えられている気がします。
私はまだまだ迷っている牛です。勉強が足りていません。生き方が一貫できていません。一貫したほうがいいのかどうかわかりません。そういう生き方が自分に合っているのかわかりません。

お家は建てるけれど!

最後に、それから、昔から今まで一部の女性をのぞいてほぼ男性にしか買えない値段であるということも、問題がいくつも絡み合って、気持ちが悪いと思うのです。

家ブログにこの記事の内容は矛盾していると思われると思いますが、なんて最初に謙虚っぽく書いてしまいましたが、私はまったく矛盾してないと考えています。てへっ。

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