2011/04/01

家のあかり、街のあかり

どうも牛の方です。
この前の日曜日に、志田さんと照明と作り付けについての確認などの打ち合わせをしていただきました。
照明ってとても部屋の雰囲気を決定するものだと思うので、私としてはとても楽しみなところでした。

最初に、地震の影響で、建築材が手に入らなくなるかもというお話。その他にも考えられる不確定なことをいくつか。その、私たちの家の完成はとりあえず確実に当初の予定よりも後になりそうです。
大手のハウスメーカーが材料先に買っちゃうとかそういうのはうーん、まあ、あれですけど、分配しろよ、まあもうその他のことはしょうがない。しょうがないね。いろんな材料費が上がるかもというのも困るけれど、困るけれど・・・まあどうなるかまだわかりません。

しょうがないって思っていたんだけど、今私の実家に一時的に住んでいる状態というのが長引くかと思うと、そして引っ越しをする元気がなかなか湧かないので、正直に言うと完成が伸びるというのはかなり堪えました。でも鳥の人もそれは同じはずなので、最初彼にもその気持ちを言えず、なんか一人で、ぐるぐるしててよくなかった。
週の真ん中くらいに鳥の人とその話が出来て、あと友達に話して、少し落ち着きました。



さて照明ですが、
今なんとなく覚えている感じで書くと外灯にひとつ、玄関にひとつ、洗面脱衣所にひとつ、お風呂にひとつ、トイレにひとつ、廊下にひとつ、和室にひとつ、クローゼットと物入れにそれぞれひとつずつ、階段にふたつ、二階にみっつ、ロフトにあがる階段にひとつ。
だったかしら・・・?(間違っているかも)

やっぱり、2DKのせまいアパートとは違うんだ!あかりがたくさんつくんだ!と思いました。
(鳥の人に「電気代やっぱり前よりあがるかな?」と聞いたら、「あがらないと思う。同じとこにしかいないし使ってないところお互い徹底的に消すから」みたいな答えが返ってきてそれもそうかもと思いました。まあ・・・ちょっとはあがるかもだけどね。)

一つ一つはガラスのシェードにつつまれたり、白熱灯だったり、やわらかく明るすぎないあかりが多い印象・・・と思ったら、やっぱり「あまり明るくしないので、あとは自分たちで必要だと思うところにあかりを足していってください」と志田さんは言っていました。
そうかー。なんだそれ楽しそうだなー。私不安なことはいくらでも思いつくんだけどそういうこと思いつかないんですよね。

あかりと言えば私はひょうたんランプ↓
http://www.hyoutanlamp.com/
(※FireFoxからだと崩れます。IE推奨)
を何年か前に見てから惹かれてやまないのですが、こういう実用的でないあかりにいきなりいっちゃうのが私のバランスの悪さ・・・。
幼い頃、床に自家置きするしかないだろうこれはっていう大きさのガラスのにわとり型ランプを発見して夢中になり、大型電機店で親にねだって却下されたことを思い出します。まあ、あれはなかったわ。

電球の種類、その周りを覆うもの、本当にあかりには色んなバリエーションがあっていいですね。
夢があります。

鳥の人は最初家中LEDにしたいという思いがあったようですが、LEDって光が直線方向にしかいかないそうです。今の実家でも玄関とトイレと二カ所使っていますが、たしかに、非常に照らされているところが無機質な印象で、真下以外がちょっと暗い。白熱灯や蛍光灯とまた違った特徴的なあかりです。

それで、人の過ごす場所のメインのあかりとしてはちょっとどうですかねと志田さんは言っていました。
そうですねー。たしかに、あの光が居間とかだったら・・・うーん。まあ、嫌かな!
今のところ家のメインは白熱灯になりそうです。
私たちが納得して使えるところにはLEDを取り入れていきましょう>鳥の人。



街も今、節電状態で普段より暗いです。@東京
でも、大まかにはなんかこれくらいでもよくね?って思っています。
駅ビルとかスーパーとか、お店が早く閉まるのはちょっと困る。でも、コンビニの棚のあかりがないこととか、ビルの看板のあかりがないこととか、そういうのは、別にこまらない。(視力の悪い方の意見なんかは聞いてみなければいけないかもしれない)
駅も今くらいで困らない。
外灯は、今でも十分でないところあるので一概に言えない(女性にも子どもにも、暗い夜道は怖いです。元はといえば悪いのは暗いことじゃなくて襲う奴だけど)ですが、駅前の商店街の外灯が一本に二つずつセットでついてたのが一つになってるのは、なかなか悪くない雰囲気だよ。

煌々と明るいことを前提に設計された照明を消してるから今またちょっと変に暗い場所もあるけれど、最初からこのくらいの使用電力を前提に設計してあかりも(それこそ設計士さんとかに頼んで!)それようにつくったら素敵だと思うけれど・・・。どうだろう。

今の節電状態を見ていると、私は夜の闇を全然楽しめていない街に住んでたんだなと感じます。夜の闇を楽しめるというのは、闇とあかりの入り交じった雰囲気を色づける印象的なあかりがあったりすることかなとか。

何度も思うけれど、発電方法を含め「今まで通りに」することを目指すのはおろかしいと思うのです。
原子力発電所がなければ本当に普通に暮らす程度の電気も確保できないのかどうかは私はまだわからないし、また違う問題ですが、明らかに今までやってきたことに無理があった、おかしかったと今この事故で、その事故への対応で、突きつけられている気がします。

違う形を描きたいと思います。街のあかりも必要なところに、必要なだけ。それは誰が儲かるためでなく、そこに住む人たちのための「必要」です。今現在一応健康な私にはわからないけれど、他にも必要なところには必要なだけ作りましょう。
ついでになかなか進まないバリアフリーや歩道の拡張もやりましょう。そういうところに使うなら公共事業にお金まわしたって良いと思う。もっと畑や空き地や公園を増やして、夏の夜の涼しい風を確保しましょう。どうせならそこに住む人みんなが節電しながら楽しめる街づくり、どうでしょうか。

違う形を描きたい、そしてそれは誰かに危険を押しつけず、楽しく素敵なものにしたいと今せめて思います。

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